おいしいおだんご

ブログです

かにく

 

考え方とかセンスとか知性とか、そういう自分の根底にある柔らかい部分を褒めてほしい、認めてほしいって気持ちは誰しも持っているものだと思う。のだけど、わたしはそれが人一倍強い、と自負している。

 

かわいい、好き、かわいい、かわいい、好き。そんなのって言われて嬉しくない人いないし、わたしも少なからず持ち合わせている女の子的な部分が反応して嬉しくなるのはなるのだけど、そればっかりになるとちょっと違うな〜感がひょいと首をもたげるのです。

 

だってそういう女の子的な褒めポイントって、わたしにとっては「皮」なんです。そりゃ皮だってわたしであることに変わりはないし、皮もおいしく食べて頂けるように努力はしているつもりだけど、果物の本質ってやっぱり果肉のほうだし。

 

皮を褒められて嬉しくないわけではないのだ、決して。でもかわいい、好き、かわいい、そうやって皮を褒められるのには許容範囲みたいなものがあって、その受け皿から溢れるほどのものはいらない。だって皮の受け皿は溢れてるのに果肉の受け皿は空っぽ、だなんて嫌。

贅沢な悩みかもしれない、というかきっとそうなんだけど、わたしたちはちょうどいいだけの愛を注いでほしいのです。

 

わたしはこんなに美味しい果肉をもっているのよ、こんなに魅力的なのよ、と主張し続けているわたしたちにとっては、かわいい皮の奥に潜めたその中身を褒められることこそが至上の悦びなのだ。

映画を観て、本を読んで、自然に触れて、わたしたちがこれでもかと磨いてきた果肉は、このまま食べられず褒められず捨て置かれたら腐ってしまう。仕方ないからその前に自分で食べる 、のだけど、やっぱり好きな人に食べて、美味しいと思ってもらいたいじゃない。

知的で性的な考え方、朝の海みたいにきらきら光る魅力、そういうものをいいなと思う心、が欲しくて努力して、それを同じようにいいなと思ってもらいたくてもらいたくてたまらない。わたしにとって何もかも全部そのためにあって、それに尽きる。

 

あまくて酸っぱくてちょっとだけ渋い、わたしの果肉を味わって。