おいしいおだんご

ブログです

 

幼さゆえの背伸びなのか経験不足なのかただの僻みなのか、それはわからないのだけど、とにかくわたしは長いこと恋愛というものをナナメに見ていた。

 

わたしはわたしのことが大好きだから、大抵の決断というか、ものごとの善し悪しは「それをしている自分を好きになれるかどうか」で決めている。その極めてあやふやな濾過装置に通してみると、「恋愛をしている自分」というものはどうにも粒が粗すぎたようで、受け入れ難いものなのであった。

 

そもそも「恋をする」ということがあやふやでわかりにくいものなのだけど、ある人物のことを四六時中考え、その人の一挙一動に振り回され、頬を染めたり頭を抱えたり情緒不安定になる、という自分を好きになれるとは到底思えなかった。わたしは自分で自分をしっかり持って、他人というファクターに(影響されることはあっても)左右されない、そんなわたしでいたいのだ。

 

そんな「自分を好きになるに値するか判断する自分」は、わたしの行動・思考・心理を隅から隅まで監視し、評価し続けている。そのわたしに嫌われるのが怖くて怖くて、わたしは恋をしているわたしを認められずにいるのかもしれない。だってわたしはわたしを好きでいたいし、わたしはわたしに嫌われたくない。わたしは恋なんてしてないから、どうかわたしはわたしを好きでいて。

 

そう思っている時点でもう遅いのだと、わたしは恋をしているのだと、気付いているのはあの頃より少し大人になったからだろうか。