おいしいおだんご

ブログです

搔き停める

 

最近、思いついたことを(主にいつか文章にするために)書き留めるようにしているのだけど、後で見返しても全くその意図が掴めない。やはりその時頭の中で浮かび上がったイメージは、その時にしかきちんと呼吸をしてくれないらしい。

 

"血管は青い"、"見透かされると穴が開く"、"パーソナリティの恒常性"、"寝違える"。

それぞれのフレーズにぼんやりと何かを感じた覚えはあるのだけど、それらを取り戻せないもどかしさに息が苦しくなる。間違いなく、わたしが感じたものであるはずなのになあ。

 

これと同じような感覚は日常的に存在していて、それはちっぽけなわたしを押しつぶしてぐちゃぐちゃにしてしまいそうで。自分の頭の中すら思いどおりにならない、どうしようもない無力感。あの頃の自分が感じたものを今の自分が取り戻せないとしたら、いったい誰が取り戻せるというのだろう。

 

昔のわたしは昔のわたしと今のわたしは別物だと思ってた、今のわたしは今のわたしは昔のわたしから変わってないと思ってる、でも本当は同じものなんて何ひとつないのかもしれない。違うものも何ひとつないのかもしれない。

ぜんぶわたしだけど、ぜんぶわたしじゃなくて、わたしはわたしであるのだけど、わたししかわたしじゃなくて。そんな当たり前を理解するのは、わたしたちにはどうにも難しすぎる。

 

何かが浮かび上がったそのときに、すべて余すことなく文章にできたらよいのだけど。

わたしが浮かび上がったそのときに、わたしを余すことなく表現できたらよいのだけど。